最初の一枚には、赤い土、黒い枝、白い灰を、ちぎった和紙の層で置いた。実際に販売される器の姿を再現したものではない。まだ商品写真や形の詳細が公開されていないからこそ、編集部が見つめたいのは完成品の輪郭よりも、一本の木が場所を移していく順序である。
枝は、窯の中で灰になる
岡山大学の公式発表によれば、使われるのはJR西日本岡山支社管内の鉄道路線沿いで伐採した木材だ。鉄道会社が窯の燃料として提供し、備前焼作家の松井宏之が作品づくりに取り組む。樹種や伐採地点、個々の作品へ使う量は示されていないため、そこから先を想像で埋めることはしない。確かなのは、線路の維持に伴って出た木材が、工芸の燃料へ役割を変えることだ。
備前焼は、絵付けや一般的な釉薬に頼らず、土と炎、灰の作用を表面へ残す焼きものとして知られる。伝統工芸青山スクエアの解説では、薪の灰が器に降り、高温で溶けて自然釉となる景色を「胡麻」と呼ぶ。今回の木材も、ただ燃えて消えるのではない。発表では、木灰が自然釉となり、作品表面に新しい模様を生むと説明されている。
どの色や流れが現れるかは、実物が届いてから確かめるべきことだ。窯の中では、器を置く位置、炎の当たり方、灰の降り方が表情を分ける。木の由来を知ることは、焼き色を決めつけるためではなく、その偶然をつくった素材の経路まで見るための手がかりになる。
三つの景色を、一つの器へ
ブランド名は「BIZENYAKI NEO KESHIKI」。核にあるのは、学生が考えた「三つの景色をつなぐ」という構想だ。線路沿いの木が立っていた車窓の景色。窯の炎と灰が器へ残す景色。そして、その器を使う暮らしの景色。素材、制作、使い手を別々に説明せず、一つの移動として束ねている。
学生は構想づくりとブランド開発、ロゴデザインを担い、岡山大学の教員が器の表情を見せる包装を開発したという。大学が知識を添え、鉄道会社が材料を渡し、作家が焼く。役割の違う三者が並ぶことで、地域資源という言葉が、枝を運び、窯へ入れ、器を包む具体的な手仕事へ戻ってくる。
編集部が惹かれたのは、車窓を図柄として器へ写すのではなく、景色をつくっていた木そのものを制作工程へ入れた点だ。鉄道と陶芸を記号で結ぶのではない。線路沿いの管理で生じる素材が、炎を介して食卓へ届く。その接続には、土地を説明する別の方法がある。
価格を下げることも、デザインになる
岡山大学の発表は、従来1万8,000〜2万円程度としていた作品を、1万〜1万2,000円程度で販売できる見込みと説明する。燃料の提供、学生によるブランドづくり、包装の設計を組み合わせ、約4割抑える考えだ。ただし、比較対象となる器の形や寸法、点数は公表されていない。すべての備前焼に当てはまる価格ではなく、この企画が示す予定帯として受け止めたい。
安さだけを入口にすると、土と炎に向き合う時間が見えにくくなる。一方で、手に取れる距離を設計することも、暮らしの器には欠かせない。作る側の価値を削るのではなく、材料の流れや包装まで見直して、食卓へ近づけられるか。実物が販売されたときには、価格とともに、形、手触り、使い道、その違いまで確かめたい。
販売後に複数の器が並べば、模様の強さだけでなく、手持ちの皿や木のテーブルとの相性も選ぶ手がかりになる。灰の流れがよく見える一客も、料理を置いたときに余白が残る一客もあるはずだ。新しいブランドの価値は、同じ名前の器をそろえることより、自分の暮らしに残したい一つの景色を選べるかどうかで決まる。
木を選ぶ目を、器の表面へ
植物と過ごす時間は、鉢の中だけにあるわけではない。窓の外に立つ木、剪定や管理で切られた枝、薪、灰、食卓の器。その連なりを知れば、焼きものの表面は単なる模様ではなく、植物が別の素材へ移った痕跡に見えてくる。花を飾る器でなくても、器そのものに木との時間が残る。
次に備前焼を手に取るとき、まず形や価格を見るのもいい。そのあとで、表面の斑点や流れに目を寄せ、何が窯の中で触れたのかを考えてみる。「BIZENYAKI NEO KESHIKI」がつなぐ三つの景色は、遠い車窓を食卓へ縮めるのではなく、身近な器から土地の木へ視線を返す道になりそうだ。
