冒頭の一枚には、同じ架空の植物を描いた二枚の紙を並べた。左は鉛筆で根や蕾の位置を確かめ、右は深い緑と珊瑚色、藍色を水彩で重ねている。実際の展示作品を写したものではないが、植物画を見るときに行き来する二つの視線を表した。どこに葉が付き、どの線がその植物らしさを支えるのか。そして、その構造を損なわず、色と余白のある一枚へどう整えるのか。
39の植物画が、二つの土地をつなぐ
練馬区立牧野記念庭園で開催中の資料展「日本とインドネシアのボタニカルアート」は、日本植物画家協会とインドネシア植物画家協会の交流から生まれた。庭園の案内によれば、日本植物画家協会は2025年に設立され、今回は両団体の会員と若い描き手の作品を紹介する。会場に並ぶのは39点。国ごとに植物を分類して眺めるのではなく、描き手が一つの株から何を選び、紙の上へ残したかを比べられる構成だ。
ボタニカルアートは、科学的な正確さと美術としての魅力を同時に求める。英国王立植物園キューは、写真だけでは切り分けにくい構造を記録できることや、植物研究の一部として図が使われてきたことを紹介している。シンガポール植物園の植物画ギャラリーも、植物学と美術が出会う場所として作品を収蔵する。形を正しく写すことと、美しい一枚にすることは対立しない。観察が深いほど、線の省略や色の選択にも理由が生まれる。
日本とインドネシアという気候も植物相も異なる土地の描き手が並ぶことで、その理由の違いも見えてきそうだ。会場の個々の作品について、ここで色や植物名を先回りして説明することはしない。実物の前では、まず花の華やかさより、葉裏や萼、茎の節、種子といった小さな部分へ目を移したい。描き手が時間をかけた場所には、その植物を見分ける手がかりと、見逃したくなかった美しさが重なっている。
牧野富太郎の庭で、線の精度を見る
この展覧会を見る場所が、牧野富太郎が晩年を過ごした住居跡であることも大切だ。庭園の公式資料には、牧野が『大日本植物志』などで精緻な植物図を描き、全体の均衡にも心を配ったことが記されている。正確な線は、情報を増やすだけでは生まれない。葉の重なりをどこまで描き、何を見やすくするために別の角度を選ぶか。展示室を出て庭の植物を見ると、目の前の一本にも、まだ拾えていない輪郭があると気づく。
写真を撮るとき、私たちは光のきれいな瞬間や、まとまりのよい構図を探す。植物画の前では、その判断をもっとゆっくり分解できる。輪郭を追う線、濃淡をつくる色、何も描かない余白。鉢や家具を選ぶときに素材の継ぎ目を見るように、一枚の中で観察と表現が切り替わる場所を見ると、作品は図鑑の挿絵とも、部屋を飾る絵とも少し違う存在になる。
一枚を選ぶなら、描かれなかった部分まで
会場では、最初から好きな花を探すより、一枚の前で視線が止まった理由を確かめたい。色に引かれたのか、茎の傾きに引かれたのか。葉が密集する部分と、紙の白さが残る部分の間に、どんな呼吸があるのか。作品を部屋へ迎える場面を思い浮かべるなら、額装された輪郭が、窓辺の生きた葉や木の家具とどう響くかまで考えられる。植物そのものと植物を描いた絵は、競い合わず、見る時間を互いに長くしてくれる。
展覧会に合わせた図録は、出品39作品を収めた全66ページのフルカラーで、税込2,000円。庭園の案内では200部を販売し、クリアファイルも税込500円で400部を用意する。販売時間は開園時間と異なり、9時30分から12時、13時から16時30分までとされている。数量が限られるため、在庫は訪問前に庭園へ確かめたい。会場で一枚ずつ見たあと、紙面でもう一度、線の密度を比べるための手がかりになる。
夏の庭から、一本の線を持ち帰る
植物を見る速さは、スマートフォンの画面ではどうしても上がる。花の全体像を確認し、名前を読み、次の一枚へ進む。植物画はその流れを止め、葉脈や芽の向きへ視線を戻す。日本とインドネシアの39作品を見た帰り、庭園の一本を以前より長く眺められたなら、展覧会は紙の中だけで終わらない。持ち帰るのは植物の知識だけでなく、見落とさないための速度である。
