クイーンズの煉瓦壁の前で、一本の小径が草木の密度へ沈んでいく。枝葉の奥には巨大な熊の丸い背が半分だけ見える。プレシャス・オコヨモンの《Among the Flowers I Learned to Love: A Garden of Decreation》は、彫刻を庭で飾る作品ではない。雑草、花、スゲ、つる、受粉する生きものまでを同じ中庭に迎え、夏から秋へ、さらに2028年まで変わり続けることを作品の内部に置いている。
庭を、二つに分けない
MoMA PS1は、この庭を「野生」と「栽培」、「一年草」と「多年草」、「在来」と「外来」のように、ふだん反対側へ置かれやすい存在が共に育つ風景として説明する。ここで大切なのは、違いを消すことではなく、同じ場所で隣り合ったときに何が起きるかを見続けることだ。整った花壇へ一種類ずつ収める代わりに、丈、葉の重なり、枯れ方、生え直しが一つの視界へ入る。
植栽は専門ナーセリーのissimaと協働して組まれた。公式資料は、草、花、雑草、スゲ、つるを挙げるが、完成時の品種表を主役にはしない。庭は生きた素材であり、開幕日の配置を保存するためのものではないからだ。伸びる枝が視線を遮り、花が終わり、別の葉が前へ出る。その変化が、彫刻と植物のどちらにも従属しない時間をつくる。
今回の写真も、2026年の展示風景の一時点を記録したもので、現在の姿をそのまま保証するものではない。画面の中央に作品の全景はなく、道と岩、葉の層が先に見える。熊は探して初めて見つかるほど奥へ退き、庭が背景ではなく、ものを見る順序を決める存在になっている。
熊の中へ入り、葉のあいだへ戻る
庭の中心にある熊の彫刻《The Pleasure Principle》は、長さ約25フィート。来場者は階段を上がって背後から中へ入り、オコヨモン本人が読む詩を聞き、口につながる滑り台から外へ出る。愛玩具として穏やかな形へ変えられた野生動物を、人が通り抜ける建築ほどの大きさへ戻した彫刻だ。
庭には作曲家オリヴァー・リースの音も重なる。花から着想した楽器の響きと詩は、姿を持たないまま植栽のあいだを移動する。熊の内部へ入る体験は強いが、出口の先には再び葉、石、道がある。大きな彫刻が最後の目的地になるのではなく、身体の向きを変え、庭をもう一度見るための装置になっている。
写真の小径を目でたどると、手前の岩、低い草、細い幹、垂れる枝が奥行きを別々に刻む。熊の肌色は、その緑の切れ間にだけ現れる。作品名や作家名を先に読まなくても、何か大きなものが植栽に覆われつつあるという関係は見える。植物は彫刻の意味を説明せず、その輪郭を毎日少しずつ変えていく。
完成を、二年先へ置かない
展示は2026年7月31日に始まり、2028年まで続く。二年という長さは、最後に完成形が待っているという意味ではない。最初の夏の繁り、初めての秋、冬の密度、次の芽吹きは、それぞれが作品の現在になる。開幕時の写真と同じ景色を期待するより、訪れた日の丈や隙間を読む方が、この庭には似合う。
オコヨモンは、世界がつくられ、ほどかれ続けるというシモーヌ・ヴェイユの「脱創造」の考えを作品の手がかりにしている。MoMA PS1はそこから、気候の予測しにくさに応じて変異し、適応する都市の庭を示す。ここで適応は、すべてが健やかに整う約束ではない。育つもの、弱るもの、場所を取り直すものが同時にある状態を、途中のまま受け止めることだ。
MoMA PS1は入場無料で、現在は会期を2028年までとしている。訪問時の開館日は変わり得るため、来館案内で確かめたい。けれど、この庭について最も確かな予定は、次に見たとき同じではないことだ。熊を見つけたら、その大きさだけで終えず、どの葉が隠し、どの道が視線を運んだかまで戻ってみる。完成しないことが欠点ではなく、植物が作品に持ち込んだ方法として残る。
