古い窓枠、波板、足場パイプで組んだ白い馬。そのたてがみに、オージープランツと枝が差し込まれる。草野慎也の「紡騎 - Suture Steed -」では、植物は完成した造形のそばに置かれる飾りではない。捨てられた材料をもう一度ひとつの身体へ結ぶ、柔らかな継ぎ目になっている。
たてがみが、継ぎ目になる
主催者の公式資料によれば、馬の胴体をつくるのは古い窓枠、波板、足場パイプなどの廃材だ。硬く直線的な材料に対し、たてがみにはオージープランツと枝が使われる。金属や木の断片だけなら、馬は過去の用途を背負ったまま静止する。そこへ葉と枝の輪郭が入ることで、頭から首へ流れが生まれ、別々だった材料が一頭の姿へ近づく。
ここで植物が担うのは、廃材を隠す役ではない。錆びや傷を残した表面と、葉の細かな反復を同時に見せることだ。古い材料は植物によって新品へ戻るのではなく、異なる時間を持つもの同士として結び直される。作品名にある「Suture」は、その関係を端的に示している。
壊れた床を、鉢の外として読む
同じ企画の「Botanical Ruins」は、錆びた骨組みや崩れた床の隙間から植物が育ちはじめる未来の遺構を構想する。公式資料の制作イメージでは、植物は整った花壇に収まらず、構造物の継ぎ目へ入り込む。鉢や棚の輪郭を先に見る室内園芸とは反対に、ここでは隙間のほうが植物の居場所を決める。
草野は緑化、ランドスケープ、トラッシュアートをまたぎながら、植物を介した空間表現を続けてきたと紹介される。その背景を置くと、廃墟風の外観は単なる舞台装置ではなくなる。植物を最後に足すのではなく、葉の量、枝の向き、根元が置かれる高さから、骨組みの見え方そのものを組み直す作品として読める。
完成像より、境目を見る
掲載されているのは完成会場の記録ではなく、公式の制作イメージだ。だから現地で確かめたいのは、予告図との一致よりも、素材同士が接する境目である。たてがみの植物はどこから立ち上がり、廃材の線をどこで曲げて見せるのか。床や骨組みの隙間には、どの大きさの株が置かれ、葉は空間のどちらへ向くのか。植物の種類を数える前に、その置かれ方を追うと、作品の縫い目が見えてくる。
「紡騎」は浦和PARCO一階で10月13日まで、「Botanical Ruins」は一階と四階で10月25日まで展示される。地元園芸店・沼ノ上農園の期間限定店は10月12日までで、オージープランツを含む植物を扱う。訪れる前には、主催者の案内で最新の開催状況を確かめたい。
植物と廃材を並べるだけなら、対比は新しさと古さで終わる。この二つの作品が差し出すのは、その間をつなぐ形だ。葉は傷を消さず、錆びた骨組みも植物を背景へ退けない。互いの輪郭を残したまま一つの場をつくるとき、遺構は過去の終点ではなく、植物が入り込める未来の余白になる。
