最初の一枚に写る庭は、派手な舞台装置を持たない。中央に一本の樹木が立ち、細い道が植栽の間を抜け、煉瓦の壁が外の街を区切っている。ここはヴェネツィア、カンナレージョ地区にある跣足カルメル会修道院の庭。第61回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展で、聖座館「The Ear Is the Eye of the Soul」の第一会場となった「Giardino Mistico(神秘の庭)」だ。
修道院の庭を、ひとつの楽器として聴く
この庭で音を生むのは、招かれた音楽家だけではない。公式解説によれば、Soundwalk Collectiveが開発した装置は、植物の生体電気活動を捉えて音へ変換する。来場者はヘッドフォンを通して、その変化と参加者による新作を重ねて聴く。録音された自然音を庭に添えるのではなく、その場にある植物の状態が作品の響きへ関わる構成である。
注目したいのは、植物を人間の感情に置き換えて説明していないことだ。葉や茎が発する信号は、植物の“声”だと断定するためではなく、人の目には見えない活動へ耳を向ける入口として使われる。庭を眺めるとき、私たちはつい花の色や樹形を先に受け取る。ここでは音が加わり、植物を見るという行為そのものが、別の感覚へ開かれていく。
聖ヒルデガルトから、24組の現在へ
館の発想源は、12世紀の修道院長であり、作曲家、治療者、幻視者でもあったビンゲンのヒルデガルト。庭と音、精神と身体を切り離さずに考えた人物の視点を、現代の表現へ手渡している。キュレーションはハンス・ウルリッヒ・オブリスト、ベン・ヴィッカース、Soundwalk Collective。参加する24組には、Brian Eno、Patti Smith、FKA twigs、Devonté Hynes、Jim Jarmusch、Meredith Monk、Terry Riley、Suzanne Cianiらが名を連ねる。
著名な名前が並ぶが、この館の面白さはスターの作品を順に消費することにはない。異なる世代と領域の参加者が、庭を共有するひとつの音の構成へ加わっている。一本の木の前で誰の名を思い出すかより、音を聴いたあとに同じ葉の見え方がどう変わるか。鑑賞の中心を植物の側へ戻せることが、この共同制作の強さだ。
二つの会場が、庭と記憶を結ぶ
聖座館は二会場で構成される。神秘の庭では、七つの段階をたどる音の体験が組まれ、カステッロ地区のサンタ・マリア・アウジリアトリーチェ複合施設には、作品や本、建築的な提案を集める「生きたアーカイブ」が置かれた。Alexander Klugeの最終作、Ilda David’によるアーティストブック、Tatiana Bilbao EstudioとMAIO、DOGMAによる修道院建築の計画も含まれる。
庭で受け取った一回性のある音を、第二会場では言葉や図面、物として考え直す。育てている植物を写真だけでなく、置き場所や季節の記録と一緒に残すことにも少し似ている。目の前の姿と、あとから戻れる記録。その二つがそろうことで、植物と過ごした経験は一日の印象から、続いていく記憶へ変わる。
旅の予定に、耳を澄ます余白をつくる
第61回展の会期は2026年11月22日まで。神秘の庭は予約が必要で、第二会場は予約なしで入れる。どちらも入場無料だ。9月30日までは11時から19時、10月1日以降は10時から18時。休館日や例外日は公式案内で確かめたい。二会場は別の地区にあるため、移動まで含めて余裕を持つと、庭で立ち止まる時間を削らずに済む。
植物を飾りとして扱う空間は多い。けれどこの庭では、植物は作品を引き立てる背景ではなく、変化する信号の発信源であり、鑑賞の速度を決める存在でもある。葉の形を見て、耳から届く変化を待ち、もう一度その株へ視線を戻す。その往復は、部屋の鉢を眺めるときにも持ち帰れる。いつもと同じ一枚の葉が、観察の入口をまだいくつも残していることに気づかせてくれる。
